rosk生誕25周年記念特別企画 小中学生編

今日はもう一項目書いてみようと思います。
さて小学生に入学したクソがきは、
地元では二番目に大きい小学校でして、小学二年の頃を境に今でゆう軽いいじめに合います。【言葉足らずですいません、こう表現したほうがわかりやすいと思ったので】
ある事件がきっかけで。
【多分この頃くらいから私のアングラ精神が沸々と湧いてきて高校・大学とより反抗的思考とゆうか自我を持ち始めます。それが今も好きな音楽となって現れていますが、まあそれは後ほど】
そう、あれは忘れもしない二年生の運動会。私は、当初体調が優れず腹を崩していました。担任にその旨を伝えてはいましたが、閉会式の最中にやってしまったわけです。
はい、お漏●しです。周りの目を一番に気にしていた私は真っ先に近くにいる先生を呼び出し保健室に向かいました。あの当時自分ほど惨めな思いをしたのは生まれて初めてでした。
その翌日から、変なあだ名を付けられ正直笑ってごまかすような素振りを見せながらも、内心はズタズタだったのを思い出します。このほかにも何回か体調が悪くそうゆう事件がありました。
もう今は笑い話ですが、当時から私を知る者は今もそのあだ名でよんできますが、今ではどうとも思わなくなりました。
で五年か六年の時、ある音楽に出会います。当時の私には衝撃でした。
そう、以前も日記でUPしましたが、ビジュアル系の先駆者XJAPANでした。奇抜なメイクに、ド派手な服装、破壊的で高速の演奏スタイルは私の音楽人生の中で衝撃をあたえました。

で、まだ当時陰湿ないじめといいましょうかそうゆうのに合ってた頃、
ノートや下敷きに落書きで、メンバーの名前やロゴを自分でマジックで書き使ってたのですが、ある日それをぐちゃぐちゃにされ【お前が偉そうに書くな】とゆわれたこともあったっけか・・・。
当時流行ってた音楽として、先日逮捕された小室氏の音楽が全盛の頃だったと思います。小学生の卒業文集の中に好きな音楽は、小室の作った曲・・・とか書いている女子や男、またミーハー気取りでXやルナシーを聞いてる奴らの文面を見て内心【馬鹿か。所詮流行で聞きやがって。嬉しそうに書くな←私も十分流行で聞いてた笑】と思ってましたが、当時ハキハキ物が言えない人間だったので心にとどめて置いた記憶があります。
で、小学校六年の修学旅行から家まで歩いて帰ってくると、黒幕の側に人だかりが・・・。
ずっと小さい頃面倒みてくれていた、祖父が無くなったのです。
顔が白い布に覆ってある祖父の亡き骸を前に私は何が何か解らず、ただ何も言えずにいました。最後の出棺の時、ようやくその死とゆう現実を知ることになります。
小さいながらも、泣いていた記憶があります。

でも今思うと小学生時代は、いい思い出の記憶が薄いです【笑】
で中学に入学、この頃はもう悶々とした3年間でした【笑】
中学に入っても私の小学校はみんな自動的にその中学に行くのであまり変わりませんでしたが、少し考え方とゆうか変わったのか小学生の頃の陰気な雰囲気はなく、ひたすら真面目な中学生だったと思います。
私は、卓球部に所属し、ある先輩に出会います。その先輩は三年生で、色んなROCKバンドを知ってる先輩でした。そうハマッた時期が結構長かったバンドLUNASEAです。自分がドラムをやるきっかけになったアーティストです。
Xとは違う、独特の演奏スタイル。SUGIZOの鋭的なギターサウンド、INORANのいぶし銀的役割を果たすバッキングギター。Jの図太いベース音。そして当時、この人に俺は弟子入りしたいと思い手紙を書こうと思ったがどこに出していいかわからず、何百回とライブビデオを見て、空ドラムしながらその絶妙なドラム捌きとコンセプトである歌うドラムを今も変わりなく提唱し続けるドラム真矢。とりあえず、スゲーカッコええとしか最初はそれしかありませんでした。その先輩からライブビデオやCD、当時まだそんなに知られていなかった、ラルクのCDなど色んなROCKバンドのCDを教えてくれました。
それが中学二年までビジュアルロックが多かったのですが三年生の秋、変事が起こります。
たまたま深夜まで起きていて、地方ローカルの音楽番組【J−ROCK ARTIST TOP30】とゆう番組を見ていて、私のROCK音楽の視野が広がったきっかけとなった番組なんですが、ここでまだメジャーデビューして間も無かったバンド、くるりやギターPOPのCymbals、キーボードをうまく駆使しドライなROCKを漂わせるpre-schoolと出会います。
くるりの東京が流れた時、鳥肌がたったことは今でも忘れられない思い出です。
曲と一緒にPVも数秒流れるんですが、貧乏大学生風のあの姿に、淡い憧れと大学は京都で京都市内に住みたい【これは今も思ってますが】と強い憧れがありました。

三年の冬、父方の祖父が亡くなります。小さな頃の記憶が薄いですが、可愛がってもらいました。最後、私は涙が止まりませんでしたが、弔辞の最中おじさんは涙一つ見せず言葉を詰まらせる事も無く、淡々と弔辞を読み上げるおじさんを見てまだまだ弱いなと改めてその当時感じました。

数ヶ月が経ち、いよいよ高校入試が近づいてきます。私は、ものつくり関係の仕事したいなと浅はかに思ってたので、工業高校を受けることに。そこで、三月の頭に入試があり、当時他校で塾が一緒だったやつと受験終了後うだうだ話しながら駅のホームでうだうだ喋ってると、何やら何人かの集団がその塾で一緒だった奴と話しています。
同じ中学で受験会場が離れていたみたいで、うだうだその人たちと私も喋っていると、その中に一人、おもしろいことをゆうやつがいました。
四月に再び再開します【笑】同じクラスで。
つづく・・・。

追記
長文ごめんなさい。私も疲れました【汗】