1.17

阪神淡路大震災から14年が経った。
私は当時小学5年。一人部屋になって浮かれて間もない時であった。

早朝、父の[地震や、起きろ]とゆう声と共に、母・弟・私はTVを前に息を飲んだ。

あのきれいな美しい街の神戸で家は崩れ、高速道路の橋げたがなぎ倒れている光景を目にした。

不適切かもしれないけれども幸い地元はあの時震度4で、家具が少し壊れる程度で済んだ。しかし、隣の県で車で一時間と少ししかからない街があのようになろうとは誰が想像したであろうか。
親父が若い頃住んでいた西宮、祖母が美容師として活気溢れていた灘区。
当の本人たちは当時言葉が出なかったそうです。

しかし、あれから14年…

私は25、弟は21、父母は53、母方の祖母は92、14年経った今でもみなこうして、生きています。こういうことは日々を過ごすと忘れがちになりますが、この1.17のとゆう日が来ると、私は振り返り、生きているとゆう有り難みを感じさせてくれる日と改めて思います。

ホントに不謹慎ですが、亡くなられた約6400名のご冥福、この場を借りてお祈り申し上げます。